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憂き身を窶す丑三つ時//面白い夢を見たときは、忘れないようにしたいものです
2006/04/20 (Thu) 例えの期限

昨日の抹茶アイスモナカに引き続き、今日はあずきアイスモナカを食べたわけであるが。

食わず嫌い王なんかを見ながらアイスを食べているだけで母親に叱責をくらう。アイスを食べているだけでなんて思っていたのは僕だけだったようで、母を憤怒させるに足りる行いであったことは今までの人生を振り返れば簡単に分かることだった。人生とは弛緩と緊張の連続であり、しかしながら僕は弛緩のしっぱなしである、注意を怠っていたということである。

僕はあんこがあまり得意ではないので、あんこが付加価値とされるようなお菓子ならばまだしも、あんこの為にあるようなお菓子はあまり食べられない。でも食べられないのと食べたいと思うことはあまり関係の無いことで、それは品質保持期限と賞味期限のように混同しがちだけれど異なったものを目的とした概念なのであり、僕はあんこのお菓子を食べるためにある画期的な方法を思いついた。

安部公房の壁という本の解説かなんかに非常に興味深い考察が載せられている。

壁という堅固な物質で出来たお邪魔虫に対決したらどうすればいいか。

まず人は頭からぶつかって傷つくということをする。

そして革命的な名案として壁を迂回することを覚える。

最後に安部公房によって提唱された方法論として、壁にその先の世界を書いてしまうことである。

というものだ。

それは壁は世界を区切るためにあるという固定観念をぶち破る、アナーキーな思想でありだからこそ僕はこの本が大好きなのだけれど。

私も革命家の一人として、

「あんこなんてとりのぞいてしまえ」

と決めたのだった。

これは思想であり、マルクスの共産主義理論が崇高でありながら現実に成功した試しがないように、矮小な例に収まりきることがあるかは疑問だけれど、一つの例を取り上げたいと思う。

ex.ドラ焼き

ドラ焼きとはふかふかの生地を二枚用意し、その間にあんこを挟んだもの

このような時、私はまず上のドラの部分をはがして食べ、その後下側のどらの二枚をくっつけるのりしろの役割をしてあんこが付着していない部分を上手に食べる。そして残った部分を母親に託す。

こういうことである。

とてつもなく怒られたと記憶している。ふざけるんじゃないと。食べれないもの、最初から食べるなと。やれやれ、と感じていただろう。例え親とはいえ所詮蛮民に過ぎないのかと。どうせなら共に頂きを目指したいと。


そしてほとぼりは冷め、うっかりモナカにまで同じことをしてしまったわけである。バニラ部分とバニラ部分側の最中だけを食べ、あんことあんこ側の最中は取り残す。つまり、バニラモナカとあんこモナカへの分離に成功していたわけである。

しかし母親の表情は優れなかった。

生涯の伴侶とすべきは、あんこもなかの崇高な輝きに目をきらきらさせてくれるような女性であろう。そのような女性が現われる日まで僕は日夜勉強していきたいと思っている。

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