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憂き身を窶す丑三つ時//面白い夢を見たときは、忘れないようにしたいものです
2006/04/28 (Fri) ランク外ところどころ

僕がはっきりと知覚している最初の銀座の記憶は小学校高学年の頃のものだったと思う。当時、中学受験の為に日に日に増大していく世界への見識は、歩行者天国への憧れを僕にもたらしていた。

歩行者天国という何ともわくわくする言葉。その通り、満面の笑顔を浮かべた歩行者が闊歩するメッカへ続くような道路を想像していたのだ。しかしながらそれは原宿という小学生にはまだまだ危険な香りのする街に突如として表れるがために僕にはまだまだ手に届かないのだと半ば諦めもあいまって、下りのエスカレーターで遠ざかっていくおもちゃ売り場を眺める時のようなセンチメンタルすら感じていた。

そしてある日曜母親と銀座を訪れた時、銀座を東西へと貫いていそうな太い道路、あの三越の前を通る道の歩行者天国を目にしたのである。

ここで話はそれるが、あの道はきっと東西ではなくて南北に通っているのだろう。しかしながら、太い道を見ると何となく右から左へ、左から右へ流れているような気がしてしまうのはどういう感覚からの帰結なのだろうか。そしてこれはどの程度一般的な感覚なのだろうか。別に大した憶測でもないけれど、赤道の存在がこうさせたと想像している。それは四つの方角における北と南の優位性と言えるかもしれない。宇宙から地球の一点を眺めた際、それは地球の回転の為に同じものであることはない。経度は刻一刻と変化していってしまっている。しかしながら、緯度については変化することはない。だから、北とか南とかの方が信用のおける情報なんだと、第一原理に基づいた認識法をしていたのかなと思うと、こうして今物理をやっていたのもなかなか自然な流れだと思えてくる。

そして、その歩行者天国は折角大きな道を貸切にしたのに大した歩行者もいず、ましてやそのほとんどが歩道を歩いていた。それは当時の僕にはとてもセンセーショナルだったし、何だそんなことだったのか、と見なければ良かったと思ったに違いない。ぽつぽつといる大道芸師には悪いけれど、そんなもので誤魔化されるほど僕はバカじゃなかったんだ。

でも今ならこうも思える。

天国とは贅沢が日常に飛び交うところであり、与えられた権利にがっつくことをしないというのがあえてという悦びを生み出すのだと。自家用ジェットで移動しておきながら、降りる時は赤い絨毯を敷く手間を惜しまないような。

「ああ、ここはもう歩行者天国じゃないんだ」

と感じるのは他に類を見ない感覚であり、僕はとても気に入っている

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